院長のコラム

勢いに乗れない男 

発表会当日 
16-6-19-1
五月二十二日の発表会前日の土曜日は、現代美術作家の古畑さんと画商が個展のためちょうど来阪していた。久しぶりの再会である、当然大阪に馳せ参じた。百貨店営業時間終了後からの飲食なので、大阪に泊まらなければならなかった。
発表会当日の午前は三男の保護者参観日である。休息の日曜日にも関わらず早朝六時前に起床し、車で帰宅の途についた。参観日は、眠気と疲労との戦いであった。参観終盤に中座して発表会場に到着したのは午後の十二時半を過ぎていた。開始時刻まで一時間半近くあったが、僕以外の六人はすでにリハーサルを終えていた。

人生初のリハーサル。いきなり面食らった。普段の練習では、楽譜を低いテーブルに置いて下を向いて歌っていた。至極当然のことだが、今日は楽譜台に乗せて正面を向いて歌うのだ。些細なことのようだが目に映る世界が全く違う。次に、エレアコをアンプに繋いだ。恥ずかしながら、ギターをアンプに繋いだのは今回が初めてである。電気で増幅された音はいつもと全く異なっていた。戸惑いながら、誰もいない会場で演奏してみた。不安はさらに増して行った。マイクの声とギターの音が共鳴しあってボワーンボワーンと会場に響くのだ。しかも、歌い方やマイクとの距離感で、キーンという耳をつんざくいわゆるハウリングが発生するのだ。初お披露目会の直前に、初めて経験することだらけで狼狽するばかりである。アンプの出力調整でハウリングは抑えられたが、共鳴音がどうしても気になる。会場に人が集まれば収まるから大丈夫、と言われても不安を払拭出来ない。未経験が引き起こす負の連鎖が、根拠の無い自信をだんだん蝕んでいくのが分かった。
しかも、自分に与えられた十五分は自分で演出するようにとのこと。自己紹介、曲紹介、しゃべり、演奏、十五分以内で好きなようにしてくださいとのお達しである。眠気、疲労、不安、緊張の中で、だんだんと頭の中が真っ白になっていった。たかがギターの発表会なのに、全国学会の発表でも感じたことのない焦りを感じた。

いよいよ本番。三十人程度の観客が集まっただろうか。知った顔がいくつもあった。先生の開会の挨拶、趣旨説明で演奏会が始まった。トップバッターとしての栄誉と未体験ゾーンに踏み込もうとしている不安を抱えて、マイクの前に座った。
職業柄、人前でしゃべることは苦にならない。自己紹介、曲紹介から一発目の「SOMEDAY」。気にしていた共鳴音は全く聞かれない。ハウリングも起こらない、むしろマイクの出力をもっと上げて欲しいと思うくらい、か細い地声が気になった。思い入れの強い手慣れた曲である、三十年以上寄り添ってきてくれた曲である。自分の思いを歌詞に込めてギターをかき鳴らせば、勢いで歌い切る自信があった。案の定多少間違ったが、三十年の歴史が三分間に凝縮されたかのようにあっという間に時間が過ぎた。手応えを感じた。
二曲目は、問題山積の「しるし」である。「SOMEDAY」で得た感触をそのまま引き継げばいい流れに乗るだけだ、自身に言い聞かせながらカポを第一フレットにかけた。イントロは、弦をつま弾くアルペジオだ。親指と人差指で弦を鳴らした途端、あれ?あれ?左手指が思い通りに動いてくれない。あれ?あれ?と思いながらも曲は進んで行く。両方の手指が思い通りに強調しないのだ。指の運動に呼応するかのように声も上ずり始めた。負の連鎖が始まっていた。(つづく)

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