院長のコラム

日本人人質事件雑感

戦後七十年を迎えるにあたって

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日本人二人がイスラム国に殺害された。イスラム国への軍事作戦に直接関わっていない国なので交渉次第では開放も可能では、と自身やや楽観的に考えていたが最悪の結末を迎えた。イスラム国による欧米人の殺害映像を見て、残虐極まりない卑劣な行為に背筋が凍りついたが、今回の同胞の場合は見るに忍びなかった。
そもそも、二人はなぜ危険な地域に向かったのだろう。僕なら例え三億円を目の前に積まれても戦闘地域・紛争地域には行かない。家族や知人、背負っているもののことを考えると、這いつくばってでもこの地で生き続けなければならない。大事な命をかけて彼らが伝えたかったものとは何だろう。

湯川さんの場合は少し分からないでもない。事業の失敗、妻の死、自殺未遂等自暴自棄になっていた湯川さんは、ある意味死地を探しに行ったのかもしれない。けれども、湯川さんを助け出したいとシリアに向かった後藤さんの目の先には何が見えていたのだろう。紛争地域における弱者の視点を伝えるという後藤さんのジャーナリスト魂には頭が下がる思いである。畏敬の念を抱かざるを得ない。けれども、継続は力なり、日本にいては分からない世界の惨状を伝え続けることもジャーナリストの使命ではなかろうか。まさか、平和を愛する日本人なら何とかなるとでも思っていたのだろうか。後藤さんを批判するつもりは毛頭ない。その価値ある仕事を絶たれたことが残念でならない。
また、後藤さんの殺害が明らかになって以降、マスコミの論調がジャーナリズムに殉じたごとく報道しているのには違和感を覚えている。かつての仕事と今回の渡航禁止を無視した行為は、切り分けて論じるべきだと考える。

今回の出来事で二人の親が親族として矢面に立たされた。片や、息子の非礼を詫び、政府・関係各機関に対する深謝、救出に向かったとされる後藤さんに対する配慮を示していた。片や、今回の出来事とは全く関係のない原発のことを語り、昼夜問わず対応している政府にもっと頑張れと鼓舞し、挙句の果ては首相官邸に直接要望書を提出しようとする始末である。同じような世代で同じような戦後教育を受けてきたにも関わらず、両極端な親の姿を見せつけられた。今年は戦後七十年目を迎えるが、いみじくも日本の教育の歪まで垣間見ることになった。

色々と思うことはあったが、最後に、一番納得いかなかったことを。憲法九条を守る方々の存在があまりに希薄だったことである。今回のような危機的な状況こそ、その存在意義を最大限に発揮出来たのでは、と思うのは僕だけだろうか。現地に向かって憲法九条を掲げて、「日本人は戦争をする国民ではありません。平和を愛する国民です。」と交渉して欲しかった。人質救出のための自衛隊派兵は国民的コンセンサスを得ていないので、自分自身はそこまでの拡大解釈を求めない。しかし、憲法九条を愛する人々が自衛隊に代わって救出してくれるなら、こんな有難く安上がりなことはない。もしそうしてくれるなら、僕も憲法改正に反対し、とりわけ九条については死守しようと思う。命がけで現憲法を守っているという自負があるのなら、命がけで紛争地域に行って憲法九条の理念を説いて欲しいものである。微温湯の中で反体制を気取ることは簡単だ。テロリストには理念や理想が通じないことをまざまざと知らされた。

平和ぼけした日本人に脳天唐竹割りチョップを見舞わされた出来事があった。彼らに哀悼の意を表するとともに、彼らが命をもって伝えたことを個々が身を持って考えることが、戦後七十年目を迎える我々日本人にとって重要なことだと感じた。

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