院長のコラム

至高のライブ

三十五周年アニバーサリー・コンサート 
16-4-10

この二年間、長嶋家には暗雲が垂れこめていた。それが三月六日を境に雲散霧消した。ほんの数日前まで、子供の能力に限界を感じ、親としての責任を痛感していたのが嘘のように何もかもが一変した。その日を境に急に慌ただしくなった。入学準備に加えて、海陽学園でとり行わる成人式への親子での参加、久しく出来なかった家族旅行の立案、それに佐野さんのコンサートである。三月は、毎週末何らかの行事が組まれていった。

三月十三日は、佐野さんの三十五周年アニバーサリー・コンサートである。当初参加さえ危ぶまれていたが、奇しくも合格祝いの景気付けになった。買い物も兼ねていたので、日曜日の昼過ぎに車を大阪に走らせた。翌日は通常通りの診療があり、コンサート終了後、直ぐに帰宅しなければならなかった。往復の長距離運転、慣れない大阪市街での運転、人混みの中での買い物に三時間のライブ、疲労困憊するのは分かっていたが、気の持ちようなのだろう、全く苦にならなかった。浪人の身で参加した前回と打って変わって、親子ともども意気揚々として臨んだ。
開演一時間前に大阪フェスティバルホールに着いた。真っ赤な絨毯が敷かれたホールの階段が高揚感をさらに盛り上げてくれる。と思いきや、先行予約していた割にはステージから遠く離れた二階の席にはがっかりした。しかし、これも気の持ちようなのだろう、会場全体が俯瞰的に見えて良かったと思えた。

六時過ぎに開演したライブは三時間半にも及ぶものだった。曲選は、新しいアルバムからのものは意外と少なく、デビューアルバムからまんべんなくセットリストされていた。まさに三十五年の集大成と言えるライブだった。そしてそれはすなわち、僕の人生をフラッシュバックさせるものだった。十六歳の夏から、いつも僕の側には佐野さんのアルバムがあった。その当時よく聞いていた曲が流れるとその頃のことが鮮明に浮かんできた。
ライブのMCが何時になく印象的だった。「三十五年と言う年月の中で、僕にも色々なことがあったように、皆にも様々なことがあったと思います。そういう中でサーバイブして(生き残って)、このライブに参加してくれたことは奇跡であり誇りに思っていいよ。」、共に歩んできたファンに対する労いの言葉である。それとともに、「僕の曲を発見してくれてありがとう。こうしてこの場に立っていられるのも、僕の曲を発見して応援し続けてきてくれた皆がいたからです。」、同じように年輪を重ねたファンに対する感謝の言葉である。文章にすると陳腐なものになってしまうが、あの時あの場所で発せられた佐野さんの言葉に、自分の人生の歩みを重ね合わせて胸が熱くなるのをおぼえた。

何度も参加して来たコンサートである。コンサート終了後はいつも、その時々の自分の気分とライブの余韻を関連付け、そして明日への糧としてきた。しかし、今回はいつもの夜とは違っていた。コンサートを通して自分の歴史を振り返るとともに、生きながらえて来た自身に「よく頑張ってきたな。」、思わず囁いた。
何度も参加して来たライブである。こんなに感傷的になったのは初めてである。佐野元春という音楽家を発見し同時代を生きている自分を誉めてあげたい、自分の中の観念が何か変わりつつある。

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