院長のコラム

さらば海陽学園(2)(我、振り返る)

健康寿命は男性で七十一歳だそうだ。そう考えると、五十を過ぎた僕はどんどん下り坂を下るだけである。いつ墓場に行くか、もう神に委ねるのみである。人生は儚い、身をもって感じる年齢になった。肉体はどんどん衰える一方だが、精神は変わらない。十代を引きずったまま、成長しないまま変わらないでいる。

十代半ば、ラジオから突然流れてきた日本人とは思えないDJスタイルに聞いたことのない疾走するメロディー、僕の脳天は撃ち抜かれた。後にこの番組が、NHK—FMサウンドストリート、DJ佐野元春と知った。同じ頃、勉強に伸び悩み悶々としていた僕の心に突然飛び込んできたのが尾崎豊であった。今でも折に触れて尾崎が問いかけてくる、「君は思うように生きているかい」。十代と言えばおしゃれに目覚める年齢でもある。ちょうどその頃、DCブランドブームが巻き起こっていた。そのブームの頂点に君臨していたのが、川久保玲のコムデギャルソンと山本耀司のワイズであった。この時以来、僕にとってのクールは黒とコンクリート打ち放しである。

今こうして振り返ると、僕の人生は十代で決まったと言っても過言ではない。その大切な十代を、偏差値を求めて勉強だけに費やすのは人間形成上果たしていいのだろうか、子供が幼少時からずっと考えていた。地元の進学校は勉強に明け暮れる日々で、ついていけなければハイサヨナラ、ついていけても成績順で席が決められ、偏差値マウンティングによる陰湿ないじめがあると聞いていた。思案していた時、雑誌「ブルータス」の記事に取り上げられていたのが海陽学園だった。これだーっ、心の中で快哉を叫んだ。六年間の全寮制生活なら塾と学校のダブルスクールは解消される。共同生活なので、規則正しい生活、規律、協調性が求められる。六年間寝食を共にする友人達と切磋琢磨出来る。学園が掲げる「次世代のリーダー育成」に共鳴賛同し、二人の息子を入学させた。

長男を入学させてから八年が経過した次男の卒業時、保護者会を通じて懇意にさせてもらったお父さんの言葉が今でも忘れられない。「入学する時は期待に胸を膨らませて学校の門をくぐったのに、六年たった今、現実はやっぱり厳しいですよね。」長男の二浪、次男の浪人が決定していた僕の心を代弁してくれていた。我が家も思い描いたような結果が得られなかったのは事実である。そう感じていた親御さんは決して少なくないように思う。子供たちに能力がないのを学園に責任転嫁するなと言われれば元も子もないが、偏差値も欲しい、人間力も欲しい、家のような鈍才はまさしく、二兎を追う者は一兎をも得ず、分相応の結果に終わってしまった。海陽万歳ではもちろんない、かといって海陽死ねでもない。数多いる保護者の、とある事実に過ぎない。

現保護者、未来の保護者に伝えたいことがあるとすれば、学園に過度な期待を求めないことだと思う。子供たちは身の丈に応じて成長していく。全寮制の学校に入学させた以上学園を信じ、我が子の成長をじっと見守っていって欲しいと願う。設立されて十年ちょっとの歴史の浅い学校である、まだまだ試行錯誤していることは否めないが、全人教育を行うという教育理念がぶれていないことだけは確かである。後日談を話そう。長男は二浪の末、地方の国立医学部に進んだ。浪人中はもちろん一人暮らしなのだが、生活する上で心配することは全く無かった。寮生活で集団生活を徹底的に躾けられていたからであろう。二浪もするとモチベーションも下がるところだが、学園生活で育まれた不屈の精神で初志貫徹することが出来た。入学してからは、学業とともに海陽学園時代に身につけた趣味を活かし学生生活を謳歌している。この春休みは、ふらっと一人でイタリアに出かけふらっと帰省し、ある日ふらっと海陽の友人とマカオに旅行していた。自分とは異次元の感覚で医学生生活を楽しんでいる。学園生活を通じて、彼の十代の魂に、我々の計り知れない何かがきっと刻み込まれたに違いない。

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