院長のコラム

吠える

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自分自身のことがほとほと嫌になることがある。なぜ、もう少し冷静になれなかったのか、もっと賢い立ち振舞の仕方があったのではなかろうか、波風を立てずじっと黙っていれば余計なことで悩む必要もなかったのに、自問自答することがある。大人になるって一体どういうことなのだろう。訳知り顔で周囲と同じように見知らぬ振りをして行動する、おかしなことに対して正々堂々と異議申し立てできる、どちらが思慮深く賢明な生き方なのだろう。

先日開催された異業種交流会での出来事である。余興として女性ミュージシャンのライブが組み込まれていた。彼女は南和歌山出身で現在は首都圏に住んでいること、看護師の傍らライブ活動をしていること、を僕はたまたま前もって聞いていた。宴もたけなわで彼女のライブが始まった。偶然にもステージ近くに席を陣取っていたので間近で演奏を聴けるはずだった。なのに、一向に喧騒がやまない。そのうちに静まるだろうと高をくくっていたが、マイクの音量に呼応するかのようにどんどん騒々しくなった。そんな中でも笑顔で懸命に歌う彼女の姿が痛々しかった。これはまずいと感じた僕は、参加者に静かに聞くよう促すことを主催者に求めた。けれども何も変わらなかった。虚しく響く音楽、悲痛な彼女のボーカル、そこここで飛び交う談笑、騒然として収集のつかない状況で僕の心の中の糸が突然切れた。

曲が終るやいなや主催者に了解を得た上で、マイクを握りしめステージに立った。「皆さん、ちょっと静かにして」の言葉で吠え始めたようだ。というのも、知人が僕の一挙手一投足を携帯電話のビデオで撮ってくれていたのだ。無我夢中で何をしゃべったか覚えていない、兎に角静かに聞くよう大声で吠え倒したのは間違いない。あとでそのビデオを見たら、穴があったら入りたいほどの気持ちになった。けれども、言わんとする気概は情けないくらい伝わってきた。地元出身のシンガーが折角歌ってくれているのになぜ聞こうとしないのですか、自分が逆の歌う立場ならどういう気持ちになりますか、相互扶助が目的の会なのに(歌っている)彼女を助けないのは趣旨に反するのではないですか。簡潔に文章に起こすと、いたって冷静で思いやりのある温かい態度を想像するかもしれない。これが百人近くいる広い会場である。怒鳴るくらいでないと伝わらない。人によっては喚き散らしていると映ったかもしれない。「路上ライブで慣れているので平気でしたが、」という声とともにすすり泣く彼女の姿に会場は静まり返った。僕が声を張り上げて以降、ライブは本来の姿に戻り安堵した。

今回の出来事を自慢話として取り上げるつもりは毛頭ない。百人近い参加者が歓談しているところに水を差して得られるメリットなんて何もない。むしろ、変わった医者として白い目で見られるだけだ。仲間からは江頭2:50ではないが、「あんたよくやったよ〜」と讃えてもらえた。二人の若者が寄ってきて「どうもすいませんでした。」と頭を下げてくれた。しかし、その他の方々には異業種交流会にも関わらず、腫れ物に触るような感じで距離を置かれた。発言をして以降居心地が悪かったが、娘のために駆けつけていた両親から「ありがとうございました。」との言葉をいただき、さらにお父さんから「先生には内視鏡をしてもらったんですよ。」との声をかけられ、たがために、タガタメニ、誰がために、僕は子を思う親の気持ちに自然となっていたのだ・・・・、ようやく救われた気分になった。

分別をわきまえる、ってどういうことなのだろう。周囲に溶け込み流れを乱さないことなのだろうか、雰囲気を壊してまでも自分の信念を貫くことだろうか。五十を過ぎて、まだまだ生き方について悩んでいる。

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