院長のコラム

尾崎豊、駆け抜けて行った人(2026年改訂版 〜僕は教祖を拒み、独房を選ぶ〜)

2011.11.12


(この記事は15年前に書いたものに、還暦を目前にした今の想いを加筆したものである。)
【7メートルの墜落と、ヒーローの誕生】
僕が発見するまでもなく、尾崎人気が徐々に浸透しつつあることは、「ギターブックGB」を毎月見ていれば分かった。最初は小さな記事に過ぎなかった取り上げられ方が、月を追って割かれるページが増え、特集も組まれるようになったからだ。
自身が覚えている尾崎ブレイクのきっかけは、何と言っても日比谷野外音楽堂でのライブイベントでの出来事だろう。うろ覚えのことなので、あくまでも当時自分が読みあさった雑誌の印象、自分というフィルターに残っている残像をここに記載する。
確か「アトミックカフェ」という名のイベントで、多数の有名ミュージシャンが集ったライブイベントだった。当時尾崎は、アルバムを出していたものの世間一般的には無名に等しかった。自分の出番になりステージに出るや否や観客からの冷たい視線に曝され、逃げ出したい気持ちを抑え懸命に歌った。しかし、歌えば歌うほど空回りし、自分に興味を示してくれない聴衆を何とか振り向かそうと照明台の上に昇り、聴衆からの声援に答える形で7メートルの照明台から飛び降り、骨折そして入院。
ミュージシャンとしての実力はもとより、破天荒なデビューエピソードに予測不能なライブアクト、日比谷の野音以降尾崎は、10代のカリスマ、10代の代弁者、反逆のヒーローと一般誌でも取り上げられるようになり、人気はまさに飛ぶ鳥を落とす勢いになった。

 

伝説の大阪球場。熱狂する信者たちの悲鳴の中で、僕は一人、冷めていた。目の前にいたのは、ロックの伝道者ではなく、自身の骨身を削り、破滅へと突き進む「教祖」の姿だったからだ。なぜ僕は、あれほど憧れた尾崎のライブに違和感を抱いたのか。そしてなぜ今、還暦を前にして、2,200人の「無償の既読」を捨て、有料という名の「独房」を建てる決断をしたのか。続きは「note」へ。

https://note.com/hazremon/n/n80f4958a0153?magazine_key=m9ed2d799b42f

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