院長のコラム

よみがえりの聖地、再訪:孤独な開拓者の「お礼参り」(1)

【長嶋家、未踏の惑星への着陸】
古来、還暦とは長寿を祝う節目であった。しかし「人生100年時代」と呼ばれる現代において、それは単なる長生きの証ではない。人生を一周し、再び赤子に戻って新たな舞台へと飛び出す「転換点」としての意味合いが強くなっている。
昨年は前厄、そして今年、僕はいよいよ本厄を迎える。一般的に言えば、再生を祝うめでたい時期なのだろう。しかし、我が長嶋家という系譜において、この還暦という領域に足を踏み入れることは、まさに「前人未到」のミッションを意味するのだ。
大げさに聞こえるかもしれないが、僕の心境は、1969年にアポロ11号の船長ニール・アームストロングが月面に降り立った際のあの言葉に近い。「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」。僕が還暦の土を踏むことは、長嶋家という歴史における、未踏の惑星への着陸なのだ。

【背骨となった「独行道」と、僕の附則】
僕の両親は、あまりに早くこの世を去った。母・阿也子は49歳、父・伸幸は59歳。彼らを起点に考えれば、還暦という名の「宇宙」へ無事に到達し、その景色を眺めるのは、僕が家族で初めての人間になるかもしれない。
「我、神仏を尊び、神仏を頼まず」 父が好んで口にしていた宮本武蔵『独行道』の一節だ。この言葉はいつしか、僕の人生の背骨となった。さらに、厳しい医療の世界で研鑽を積み、開業医として独立する過程で、僕はこれに自分なりの附則を付け加えた。「さらに、人にも頼まず、人を信じず」。
冷徹に聞こえるかもしれないが、これは自らの足で立ち、自らの責任で決断を下すという、医師としての、そして一人の男としての覚悟の表明だ。20年経った今でも、この箴言は僕の中で不変であり、何ものにも偏らない「北極星」であり続けている。

【「河童の川流れ」と、突きつけられた皮肉】
長い年月を経て、経験と学びを積み重ねた結果、僕は「自分本位の生き方」という境地にたどり着いた。 これは決して、周囲を顧みない独善的な意味ではない。自分らしくあること、信念を貫くこと、つまり「僕が僕であること」への純化だ。両親の早逝を反面教師とし、人一倍、健康維持と自己管理には心血を注いできた自負があった。
しかし、運命は時に皮肉だ。2024年10月、あろうことか自宅の階段で転倒し、左膝に重傷を負ってしまった。 どれほど留意していても、不測の事態は起こる。「僕としたことが、慢心していたのではないか?」という疑念が頭をよぎる。その時、ふと父の最期を思い出した。胃がんを診断するプロの内視鏡医でありながら、自らも胃がんで亡くなった父。「河童の川流れ」を地で行った父の姿が、今の自分と重なったのだ。

【鋼鉄の決意を胸に、熊野の冷気へ】
2025年は、僕にとって前厄の年であった。 「神仏を頼まず」と粋がっていた僕だが、その前に、まずは「神仏を尊ぶ」という謙虚な原点に立ち返るべきではないか。そんな心境の変化は、2025年1月のコラムに綴った通りだ。
あれから、激動の一年が過ぎた。 2026年1月2日、僕は再び、和歌山の深い山間に向かうことにした。その先とは、「よみがえりの聖地」として名高い熊野本宮大社だ。 怪我からの回復、そして無事に本厄を迎えられたことへの報告とお礼参り。この本厄という一年を、ただ恐れていても何も始まらない。厄から逃げる(避厄)くらい疾走する鋼鉄の決意も必要だ。四の五の言わず、たまには他力本願「苦しい時の神頼みで行こう」となで肩に背負った借金と理事長としての重圧という肩の荷を一旦降ろし、僕は一歩、熊野の冷気を目指した。(つづく)

 

無事に還暦の土を踏むこと。それは僕にとって、亡き父との無言の対話の始まりでもあった。しかし、聖地・熊野で僕を待ち受けていたのは、そんな感傷を嘲笑うかのような自分自身の醜さだった。僕の不遜で不埒な内面をさらけ出す、本当の孤独な旅路が始まる。ここから先、僕の心の奥底に棲む「天邪鬼」が毒を吐き散らす後半戦は、noteという名の独房で。https://note.com/hazremon/m/m22e7df5df561

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