父を超える日は、納税額でも、肩書でもなく──孫と出会い「浦島太郎」になった僕
HELLP症候群とは、「溶血(Hemolysis)」「肝酵素上昇(Elevated Liver enzymes)」「血小板減少(Low Platelet count)」の頭文字をとった病態だ。迅速な診断と治療が求められる、母体・胎児に重篤な合併症を引き起こす恐ろしい疾患である。
医師国家試験レベルでは暗記必須の症候群だが、専門家でさえ状況判断がつかず、母子ともに不幸な結末を迎えた訴訟案件は、僕が調べただけでも数えきれない。多くの臨床現場を経験してきた僕でさえ、こうした病態を前にすると、医師としての責任の重大性を再認識する。ましてや、それが自分の娘となると、話はまるで違ってくる。
長女は、この病名が示す通り、溶血性貧血に対して輸血され、血小板減少には血小板輸血、そして肝機能のさらなる悪化を防ぐため、血圧管理のために絶対安静を強いられた。研修医たる娘の容態報告を妻から間接的に聞くたび、冷静な医師であるはずの僕の心は、激しくかき乱された。
今、僕が無事にこの文章を書いているという事実が、母子ともに大事に至らなかったことを物語っている。入院から1週間後、二人は無事退院することができた。
母子ともにこの世に生きているのは、娘が母校で研修医として研鑽を積み、母校で出産する予定になっていたからこそ。ベテラン医師たちの的確な診断と適切な治療の賜物だ。もしもあの時、という「たられば」の話をすればするほど、関西医大産婦人科スタッフには天に祈るような気持ちで感謝している。
退院後、一旦自宅に戻った母子を我が家に迎えたのは、8月31日のことだった。
安堵と同時に、僕の心は激しく動揺した。「父親を超えたい」と願ってきた息子が、突然「おじいちゃん」になったのだ。還暦を迎え、父を超え、その先の景色を楽しみにしていた。これまでの人生を振り返れば、いくつもの目標を立て、それを達成してきた。医師として、一人の男として、常に前へ前へと進んできた。
だが、突如として与えられた「おじいちゃん」という役割に、僕は狼狽している。まるで、一気に歳を重ねた浦島太郎のような気分だ。
僕が最も不釣り合いだと感じていた「じいじ」や「じいちゃん」という言葉。それは、僕の中にある「父親はこうあるべきだ」「医師はこうあるべきだ」という固定観念を揺るがすものだった。これから僕は、それらを受け入れていかなければならない。僕は、これからどんな「じじい」になるのだろうか。
里帰りした孫をあやし、義理の息子がいないのをいいことに「パパですよ」と言いながらミルクをあげる。そんな新しい人生の扉の前に、僕は今、佇んでいる。
父を超える日は、肩書でも、納税額でも、あるいは長生きすることでもなかった。孫と日々戯れている、こんな時間だったのかもしれない。
僕は、思ってもみなかった「おじいちゃん」という肩書に、心地よく翻弄されている。そして、その新しい役割の中で、自分でもまだ知らない新しい自分に出会いつつあるのかもしれない。