Creepy Nutsが「日本的病理」を払拭した日:現代日本のHIP HOPと「人間賛歌」
Creepy Nutsは、言わずもがなHIP HOPユニットだ。初めてのヒップホップ・ライブはとても新鮮だった。ラップとリズム、楽曲に合わせた舞台照明とライブ演出、そして背後の映像が融合した世界は、ある種トランス状態に僕を導いてくれた。乗るとか乗らないとかではなく、ただその流れに身を任せるだけでいいのだ。しかも、楽曲ばかりの躍動感だけでは疲れてしまう。曲の間の二人の軽妙なトークは、観客を日常と非日常の境界に引き戻し、ライブのオンオフをはっきりさせるためにも効果的と思えた。
2時間半のライブは、予定調和のアンコールがなく、スパッと終了した。彼らの全力投球のライブを観ていたら、「これ以上何を望むのか」と観客の誰もが思ったに違いない。それは、マラソンを完走した走者に「もうちょっと走ってみて」と言うようなものだ。初めてのヒップホップ・ライブは終始、手を上下左右に大きく振り、時には手拍子をして、時には飛び跳ねる、まさに肉体的な解放の場だった。
一言で感想を言うなら、「お祭り騒ぎ」だった。非日常の体験、五感への刺激、共同体意識と一体感など、非常にエモーショナルな体験だった。専門家的視点で見れば、彼らのライブは、現代社会が抱える「ストレス」という病に対する、極めて即効性の高い治療法に思えた。
僕がラップらしきものを聴き始めた1980年代、佐野元春が『VISITORS』で描いたのは、都会の孤独や社会への疑問といった「メッセージ」や「概念」だったように思う。
しかし、HIP HOPを辿れば、1970年代のニューヨーク、当時の貧困や差別で抑圧されていた黒人文化をルーツに持つ。そのせいか、その後花開く和製HIP HOPには、どうしても少年ギャングや薬物、そしてTATTOOといった負のイメージとも重なって見えた。それは社会の「病理」が凝縮されたような側面があった。
あくまでも個人的見解ながら、今回Creepy Nutsを体験して、和製HIP HOPの完成形を垣間見たような気がする。彼らはその負の呪縛から解放されているように感じた。
今の時代、ウィスキーならアイルランドやスコットランド、ワインは欧州じゃなければならないなんて先入観はなくなった。日本同様、世界各地に根ざした美味しいワインやウィスキーは数多ある。それらと同様、HIP HOPも基本のスタイルは重要であっても、黒人文化の歴史を実直に踏襲し、それを「本物」と定義する義務はない。
Creepy Nutsは、「自国の文化、自らの言葉にHIP HOPをリンクさせるだけでいいのだ」「カッコよくなくてもいい、手の届く範囲の生活や、日々を生きる人々の機微を描けばいい」という、極めて現代的で普遍的な表現の可能性を示してくれた。
彼らの描く世界は、かつての「ゲットーの叫び」ではなく、現代日本の誰もが持つ「内なる叫び」だ。負のイメージを払拭し、独自の視点と圧倒的なテクニックで、HIP HOPという形式を、もはや人種や文化の壁を超えた、純粋な表現技法へと昇華させている。彼らの存在は、日本におけるHIP HOPのある種の病理を払拭したと言っても過言ではない。その「人間賛歌」こそが、多くの人を惹きつける核心だ。
僕たちが日常で感じるストレスや内なる叫びは、音楽に限らず、対話や環境改善を通じて必ず解消の道を探ることができる、と僕は信じている。(この章終わり)






