般若心経とヒップホップ:還暦前の医師がライブで知った「言葉の力」
開演予定時刻の午後6時から遅れること15分。ついにその時が来た。大阪城ホールという巨大な空間に、彼ら二人が登場した瞬間、会場全体が総立ちとなった。増幅された言葉とビートは、多忙な日常、憂鬱な日々、人間関係の軋轢、社会の不条理、そうした僕の心に澱(おり)のように溜まっていた鬱屈した感情を一気に吹き飛ばした。この感覚は、きっと僕だけではないだろう。会場に集まった人々の心がスパークした瞬間だった。
彼らの楽曲は、ラッパーR-指定の歌詞にDJ松永が曲をつける「詞先」だという。R-指定独特のリリック(歌詞)とライム(韻踏み)、そしてフロウ(歌い回し)。正直なところ、初めて聴く曲ばかりで、どうリズムをとればいいか戸惑った。周りを見ながら真似てみても正解は見つからない。とにかく、湧き上がる言葉とビートの勢いに身を委ねるしかなかった。
そんな僕の心を見透かしたかのように、イントロが一段落したところで、R-指定はこう語りかけた。「周りを気にせず、自分の気持ちに従って(ライブを)楽しめ!」「歌って踊って手を叩いて、そして飛び跳ねろ!」普段は理性と理論でガチガチに固まった心の装甲を緩め、自由になれとのお達しだ。この年齢になって、これほどまでに内なる「衝動」を掻き立てられるとは、正直思ってもみなかった。
歌詞の内容はよく分からなくても、湧き上がる言葉と激しいビートにただ溺れる。この感覚は、僧侶が唱える般若心経に似ている。意味や内容が分からなくても心が浄化されていくような、あの感覚だ。
曲の合間の二人のMCも、『オールナイトニッポン』でパーソナリティを務めていたこともあり、軽快にして絶妙だった。R-指定は堺市出身で大阪はホームタウンということもあり、リラックスしている様子だ。バリバリの関西弁で語る大阪ネタには思わず笑ってしまった。
特に、R-指定が語る自己評価は印象的だった。何者でもなかった若者がラップに目覚め台頭していく中で、自身のスタイルの方向性に葛藤したという。クールにスタイリッシュに行くことも思案したが、自分らしくないと内省。たどり着いたのは、「劣等感」を赤裸々に吐露すること、自らの「弱さ」を臆することなく言葉に乗せること、そして「完璧ではない自分」を受け入れることの重要性だった。
自身の言葉で自身の背景を語るその姿勢に、僕がCreepy Nutsに強く惹かれた理由が腑に落ちた。それは、彼らの楽曲に等身大で人間味あふれる個性を感じたからだ。
こんな小さなクリニックの院長コラムでも、僕が常に心がけていることがある。「自慢しない」「謙虚であること」「身の丈を知ること」、そして「偽らないこと」だ。完璧ではない自分をさらけ出し、それでも前へ進む彼らの音楽が聴く者の心を揺さぶり、人々の心に届くのは、琴線に触れる「言葉の力」に他ならない。(最終につづく)






