三朝(みささ)カニ地獄:年末の山陰弾丸カニツアー(3)
チェックイン時、フロントで夕食の開始時刻を尋ねられた。「当館の食事は十時までですので、六時か六時半の開始でいかがでしょうか」という。 嚥下(えんげ)機能に些かの不安を抱える八十半ばの老父母を連れているとはいえ、夕食に三時間以上もかけるとでも思われたのだろうか。僕は「三時間も食い続けられるか。ナメトンのか」という関西人の本音を辛うじて押し込み、静かに頷いた。だが、これが後に始まる「カニ会席地獄」への、無慈悲な号砲であったことに、この時の僕はまだ気づいていなかった。
ラドン泉の放射線ホルミシス効果によって、僕の細胞はすっかり活性化されていた。身体の全細胞が、カニとアルコールを激しく渇望している。 期待に胸を膨らませて食事会場へ向かうと、そこには驚くべき光景が広がっていた。大広間のど真ん中に、ポツンと我々十人のためだけのテーブル席が設えられていたのだ。 「民族大移動」の果ての身に余る光栄か、あるいは分不相応な演出か。こじんまりとした一家団欒の夕食会は、いつの間にかVIP級の晩餐会へと化していた。
席について、まず仰天した。目の前には紅く茹で上がったズワイガニが、まるごと「一杯」、鎮座している。 蛇足ながら、カニの数え方は興味深い。生きていれば「一匹」だが、食材として市場に並べば「一杯(いっぱい)」と化す。これはカニの甲羅が、何かを盛るための「器(盃)」に見立てられたからだという。今回の場合は、まさしく器としての甲羅に、身が目一杯詰まっていることを予感させた。その赤き装甲を前に、僕の食欲という名の原始的な衝動に火がついた。
乾杯のビールで喉を潤した瞬間、参加者一同の心のゴングが一斉に鳴り響いた。 誰もがハサミとフォークを武器に、戦場へと繰り出していく。この時点では、全員が余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)であった。しかし、ここから三時間に及ぶ「カニとの格闘と葛藤」が幕を開けるのである。
世間からは「医師」という高尚な響きで、さぞや優雅な生活を送っていると見られがちだ。だが悲しいかな、僕の根っこにあるのは「貧乏性」という抜き難い性根である。カニフォークを駆使し、足の先の一片まで、執念深くほじくり出さずにはいられない。 ハサミで断ち、身を穿ち、口へ運ぶ、その反復。 「食べるために行動している」のか、それとも「行動の結果として食べている」のか。主客転倒のトランス状態に陥る。この域に達すれば、もはや食事というよりは「修行」である。
しかも、カニの刺身、炙り焼き、天ぷら、そして鍋と、注文した覚えのないカニの軍勢が「食え、食え」と次々に押し寄せてくる。 修行はいつしか「苦行」の領域へと突き抜けた。御膳の上はもちろん、気づけば白衣ならぬ私服にもカニの身が飛び散っている。それを振り払いながら貪り食う姿に、冷徹を気取った医師の面影はどこにもない。そこにあるのは、地獄に堕ちて飽食を貪る「餓鬼」の姿そのものであった。
医学的な話をすれば、カニの身は100gあたり約60〜90kcalと極めて低く、高タンパク・低脂質な優良食材である。三時間を超える死闘であったが、不思議と胃もたれはしなかった。老若男女、九名の戦士たちは、最後のカニ雑炊までほぼ完璧に平らげた。 家族が口々に漏らす「もうお腹いっぱい、食べられない」という言葉。その裏には、「カニ三昧は、向こう三年は結構です」という切実な本音が透けて見えた。
長時間の運転と、それ以上に過酷だった三時間の会食。 精根尽き果てた僕は、部屋に戻り、少し休んでから「細胞の再活性化(二度目の入浴)」を目論んだ。しかし、重い瞼を閉じた瞬間、意識は闇へとコトンと落ちていった。ラドン泉で整った身体が、カニによって心も体(服)もボロボロになるという落ちがついた。(つづく)






