院長のコラム

三朝(みささ)カニ地獄の後日談:年末の山陰弾丸カニツアー(4)

2026.02.8

長時間の運転による心身の摩耗、ラドン泉の効能、そしてアルコールという名の麻酔。それらが三位一体となって僕を深い眠りへと誘った。 泥のように眠り、夢を見る暇もなかったはずだが、不覚にも陽の光を浴びるまでに二度、目を覚ましてしまった。
一度目は干上がった喉が水分を求め、二度目は下半身の組織が老廃物の放出を強要したためだ。意識が眠りに就こうとも、生体反応という名の本能は容赦なく僕を叩き起こす。水分を補給し、補給しすぎた水分を排泄する。この絶え間ない循環こそが、真に「今、生きているということ」なのだろう。谷川俊太郎の名詩を、山陰の温泉地で身をもって実践することになろうとは思いも寄らなかった。

二度も起きれば、もう目は冴えてしまった。静まり返った部屋を抜け出し、昨夜のリベンジを果たすべく大浴場へ向かう。昨晩は女性用だった露天風呂に浸かり、雲間から覗く冬の青空を見上げながら、ラドンという放射性希ガスを全身に浴びる。 「高級日雇い運転手」としての二日目の始業は、この湯船からだ。こうして細胞と脳のネットワークを活性化させなければ、やっていられない。
全員集合の朝食は、地のものをふんだんに使ったビュッフェスタイルだった。 ここで告白せねばならない。三島由紀夫の『仮面の告白』を引くほどのことではないが、僕には過敏性腸症候群という持病がある。旅先での不意な腹痛と、それに続く頻回の下痢。厄介なことに、それは決まって朝食後に訪れる。 原因は診るまでもない。目の前の絢爛(けんらん)たる食材を前に、僕の心の内に潜む「守銭奴」がいきり立つのだ。だが、そこは曲がりなりにも医師である。長年の経験から独自の処方箋を導き出している。 朝食前にビオフェルミンを三錠服用し、貪婪(どんらん)な食欲を三割減に抑制。そして、時間をかけてゆっくりと咀嚼する。自称「痩せ我慢の美学」、あるいは「長嶋雄一国憲法」である。この法を遵守したおかげで、今回も腹痛との格闘を回避し、優雅な朝食を満喫することができた。

二日目の任務は、まず鳥取から大阪の長女のマンションへと移動することだった。年末年始を実家で過ごす長女一家のために、山のような荷物を事前に運び込んでおかねばならない。頻繁に帰省しているのだから、その都度持ってくれば良さそうなものだが、これには現時点では家長に公表できない彼らなりの都合があるのだろう。
娘夫婦が荷物と格闘している間、僕ら夫婦は梅田の阪急メンズ館へ向かった。目的は「Y-3」で取り置きしていた商品の引き取りだ。 普段は親と一定の距離を保っているくせに、こういう時だけは現金なものである。長男と次男は、いつの間にか僕の背後にコバンザメのごとく貼り付いていた。国家資格を持つ立派な成人であっても、その無邪気な笑顔にほだされてしまうのが親の性(さが)というものだ。その笑顔という仮面の裏で、息子たちは無償で商品をゲットできる僥倖(ぎょうこう)に、さぞやほくそ笑んでいたに違いない。

当初、「車の返却は十九時だから余裕だ」などと豪語していたが、大阪での滞在が予想外に長引いてしまった。次男を和歌山市で降ろす一号車を見送り、僕は義父母と三男が乗る二号車に乗り換え、ダイレクトに自宅を目指した。
僕が帰宅したのは十八時過ぎ。次男を送り届けた妻が到着したのは、その三十分後だった。 ここからガソリンを満タンにして車を返却せねばならない。だが、三十数時間の弾丸ツアー中、総運転時間が十二時間に達した僕の肉体は、すでに限界を優に超えていた。 両肩は岩のように凝り、首筋には「コンクリートでも注入されたか」と思えるほどの硬直が走っている。最後の最後に、妻と息子にハンドルを譲るという「家長の敗北」の苦さを、僕は「アードベッグ」のピート香で強引に流し込んだ。(最終回に続く)

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