ブランドが傾いても、あなたは20年後その服を着続けられますか?:山本耀司とジョルジオ・アルマーニ(番外編・後編)
【かつて、茨の道を歩んできた者として】
今でこそ、ヨウジを纏うことは「おしゃれさん」「ファッション通」「着こなし上級者」などと、さも洗練された大人の選択であるかのように語られる。
しかし、2008年秋のリーマン・ショック前後から、ヨウジヤマモトを取り巻く環境は、「ファッション」というきらびやかな世界から遠くかけ離れた日陰の道だった。それは、世間の冷笑を浴びながら茨の道を進む、「受難者」としての巡礼の旅だった。
極めつけは、2009年10月の「民事再生法」の申請だった。結果として投資会社インテグラルが支援し事業を継続させることになったものの、当時の僕が目の当たりにしていたその兆候――相次ぐ店舗閉鎖、長年馴染んだスタッフの離職、セール会場での大量の売れ残り――はあまりにも生々しかった。当時の僕は、一筋の光明さえ見いだせない漆黒の帷(とばり)に迷い込んだような気がしたものだ。
「自分が信じていた美学が、この世から無くなるかもしれない」という絶望感。「今後、自分の戦闘服が二度と供給されないかもしれない」という戦慄。それは「自身の存在そのものを否定された」かのような、深いアイデンティティ・クライシスだった。
「何もかもが消失していくかもしれない」という底なしの虚無感は、あの秋、僕の胸の奥深くに決定的に刻み込まれた。
その後のV字回復は誰もが知る通りだが、今なお、還暦を迎えた僕の胸の内に、当時のトラウマがふと鮮烈に蘇ることがある。
【孤高のエイリアンが、かつての記憶を思い出す】
「なぜいつも黒ばかり着ているの?」
「そんなダボダボの服、何がいいの?」
「そんな服はどこで売ってるの?」
「ジョウジヤマモト?」
「いつも変わり映えしないね」
これまでの人生で、自らの制服であり戦闘服でもある衣服に対して浴びせられた、心ない無理解な言葉の数々。そのたびに、僕はどれほど言葉にできない不甲斐なさと、裏返しの激しい反骨心を燃え上がらせてきたことか。
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