歴史の正解を身体で知る ―― レクサスGXとランクル300、同時所有の結末
【二台の猛者と対話する日々】
レクサスGXが納車されてから十ヶ月、ランドクルーザー300が納車されてから一年が経過した。この間、僕は二台とともに春夏秋冬と季節を重ねてきた。日々の通勤から、往復二時間の和歌山市日帰り、さらには阪和自動車道から湾岸線を経由する大阪への一泊二日の旅。贅沢にも、この二台のハンドルを交互に握り続け、クルマとの濃密な「対話」を繰り返してきたのだ。
どちらかに思い入れが偏らぬよう、そして何より、売却時の査定に響かぬよう二台の走行距離を均等に保つべく、一週間ごとに乗り換えるという徹底した管理を行ったのは、愛好家ゆえの「性(さが)」というべきか。
【レクサスの華やぎに潜む「物足りなさ」】
正直に告白しよう。GXを走らせるたびに、僕の身体は微かな「物足りなさ」を感知していた。現行レクサスRXと比較すれば、上級SUVらしい洗練された味付けとプレミアム感、そして威厳は確かにある。価格差300万円は、レクサスヒエラルキーにおいては納得価格である。
しかし、ランクル300と乗り比べることで露呈したのは、挙動における「重厚感の欠如」であった。今なら、たとえ目を瞑っていても、ステアリングを握り数メートル走り出せば、指先から伝わる感触と剛性感で両者の境界線を言い当てられる自信がある。
先ずは、結論を急ごう。レクサスの華やかなエンブレムや最新鋭の内外装、ブランド戦略上の価格設定を加味しても、僕の魂をより深く揺さぶり、究極の安堵をもたらすのは、やはり「ランドクルーザー300」という絶対王者の方だった。
スペックやブランドという「虚飾」を剥ぎ取ったとき、僕の身体が感知した違和感の正体とは何か。3,000万円のウルスを味わい尽くした一介の開業医が、還暦を前に辿り着いた「枯淡の境地」。自動車ジャーナリストには絶対に書けない、同時所有10ヶ月の冷徹な結末。伝統が最新を凌駕する残酷な真理。その「答え」の続きは、noteという名の独房で。https://note.com/hazremon/n/n5364e9846b73?magazine_key=m9ed2d799b42f





