院長のコラム

尾崎豊との出会い(2026年改訂版 「ハズレモン」のルーツについて)

2011.11.5

(この記事は15年前に書いたものに、還暦を目前にした今の想いを加筆したものである。)
【訃報に「淡々」とした理由と、忘れられない一節】
最近、ふと尾崎豊の曲を口ずさむことが多くなった。『坂の下に見えたあの街に』の一節もそんな曲の一つである。
♪やがて俺も家族を持ち同じように築き上げるだろう 何もかもわけあって行くようにね♪
今年は尾崎没後二十年になるそうだ。忘れもしない、尾崎死亡のニュースを聞いたのは、出張先の幌加内の病院に着いてテレビをつけた矢先であった。驚きは全くなく、いよいよこの日が来たか、と淡々としていたのを覚えている。

【「しみったれた曲」からの決別と、洋楽の季節】
尾崎を知ったのは、まさに「十七歳の地図」を発表した十七歳であった。中学生の時に聞いていた松山千春やさだまさし等のフォークソング、松田聖子やたのきんトリオを頂点とした歌謡曲は、高校生にもなると妙に違和感をおぼえるようになった。その原因の一つに、母親の一言があった。居間で松山千春のアルバムをかけていた時、洗濯物を畳みながら言った母の「何、このしみったれた曲!」の一言である。
中学生の頃はABBAが全盛で、ABBAはもちろん、同時代のビリージョエルや当時のヒットチャートを賑わす洋楽もよく聞いていた。しかし、洋楽では歌詞と曲調のギャップを埋められないことが多く、ABBAの人気衰退とともに洋楽熱は一気に冷めてしまった。

【『ギターブックGB』で見つけた、一人の「中退者」】
当時は、今と違って情報源は限られていた。日本の音楽状況を知るためにソニーマガジンズから発行されていた「ギターブックGB」という月刊誌を購入するようになった。購入し始めた頃は、佐野さんがアルバム「No Damage」を出しニューヨーク行きを発表した頃だったので、ギターブックは佐野さんの情報を伝えてくれる数少ない情報源でもあった。
ある時、その雑誌の小さな記事で尾崎豊を見つけた。青山学院高等部を中退したこと、中退した学校の卒業式にルイードで初ライブを開催したこと、そのライブが盛況だったことが書かれていた。同じ年代で、その破天荒なエピソードに惹かれてLPアルバム「十七歳の地図」を購入した。

 

まだ誰も彼を知らなかった頃、僕は一足早く彼を見つけ、学校中にその『毒』を振りまいた。 クラスメイトの間に広がった又貸しの連鎖、そして誰にも認められない自分だけの密かな自慢。
時代はレコードからデジタルへ、そして僕は十代の若者から、医師として子供たちの背中を見守る立場へと変わった。しかし、私の中の尾崎の灯火は、今も消えてはいない。続きは「note」でhttps://note.com/hazremon/n/n91675d7a594b?app_launch=false

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