院長のコラム

令和版・白い巨塔(1)

先日、テレビ朝日開局六十周年記念として山崎豊子原作の「白い巨塔」が五夜連続にわたって放送された。原作を読んだことはないが、医学人の端くれとして題名とあらすじくらいは知っていた。十六年前、これもフジテレビ開局四十五周年記念ドラマとして唐沢寿明主演で放送されていたのを覚えている。当時僕は、単身赴任で大学病院に勤務していた。帰宅時間が午後十一時前後なので、帰宅してテレビをつけたらエンディングの「アメイジング・グレイス」が印象的なドラマだったことだけは記憶している。その頃はVHSテープをセットして録画、巻き戻して再生と、今のようにボタンを押して手軽にHDD録画という訳にいかない。好視聴率の評判をよそ目に見ることが出来なかった。あれから、十六年、僕は勤務医から開業医に、三人の子供達は医師としての道を歩み始めた。精神的にも時間的にも十分な余裕が現在はある。子供達のために録画を、自身のある意味リベンジを込めて今回はオンタイムに見ることにした。

五月二十二日から二十六日までの五日間、夜の九時から約二時間じっくり見た。一視聴者というよりも医師としての視点でみたせいか、見終えた後、あれこれ考えなかなか寝付けず寝不足の五日間であった。フジテレビ対テレビ朝日、唐沢財前対岡田財前、全二十一話対全五話、前回のドラマと比較されることを十分承知の上で制作された今回の令和版・白い巨塔である。相当な重圧はあっただろうし、それを糧により良いものを作ろうとする意気込みは画面を通して終始感じとれた。豪華出演者、三人もの脚本家、緻密なセット、撮影ロケ地、重厚感のあるドラマであることは一目瞭然である。けれども、妻や周囲の人々に尋ねると、圧倒的に平成版・白い巨塔に軍配を上げるのだ。ネット上の評価も、今回に関しては賛否両論の否、毀誉褒貶の毀貶が断然多かった。

僕自身は今回が初見である、何の先入観もない。一言で言えば、野心家の成功と転落の物語である。背景を、権威主義や派閥主義が跋扈する医学界に据え、法廷闘争というスパイスを加えた小説である。ドラマとして単純に楽しめた。原作は昭和に書かれ、昭和から今回まで何度も映像化されてきた作品である。原作に忠実に、しかも、医学の進歩に合わせなければならない。その努力の成果は実を結んでいたように思う。医療の背景や台詞に違和感を覚えることはあまりなかった。岡田財前はどうだっただろうか。背が低い、年齢が若いと揶揄された岡田准一演じる財前五郎、僕はすんなり入り込めた。成り上がっていく際の自信満々の表情に人を見下した目線、かたや躓いて転び始めると覚束ない不安な表情を見せるようになり、最後自分の病名を知って以降の悲愴感溢れんばかりの形相には、どんどん画面に引き込まれた。「永遠の0」での宮部久蔵を重ね合わせた。脇役も、岡田財前に呼応するかのようにそれぞれが役に徹しきれていたように僕は感じた。令和版・白い巨塔の僕の点数は、五点満点中の四点、見てよかった、人に薦めることのできる作品である。減点理由は、心が熱くなったか、涙したか、もう一度見直したいかと自分に問うてみた。琴線に触れたかと言われれば、ややインパクトに欠けた点は否めない。

作品は考えるものではなく感じるもの、僕は考えている。見て不快に感じるドラマなら見なければいいだけの話である。今回の作品も思うところは多々あった。しかし、考えながらドラマを見ていては物語が進行しないし楽しめない。今回の令和版・白い巨塔を見終えて、どうにもこうにも納得出来ない点が唯一あった。市川実日子演じる野坂脳外科教授である。彼女の役どころの教授は教授選考委員も務めていた。新米教授が選考委員などになれるはずもなく、中堅からベテラン教授と考えれば、彼女の年齢はどう少なく見積もっても五十代半ばでなければならない。しかも、男性教授がシャツにネクタイと教授然としているのに、彼女だけは検査着に白衣で病院内を一人ブラブラと歩いている。彼女なりに野坂教授を演じていたことは重々理解できるが、如何ともし難い配役と設定ミスであった。(つづく)

 

 

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