僕の「黒歴史」、35年ぶりの同窓会 〜川崎医科大学同窓会(1)〜
僕は昭和60年(1985年)、川崎医科大学医学部に入学した。当時の僕は、医学への純粋な探求心よりも、むしろ国公立大学に行けなかった自身の不甲斐なさに苛立ち、私立大学医学部合格に喜ぶ同級生に腹立たしさを覚えていた。
このコラムで以前にも書いたが、僕は修復不可能な強烈な自我、鼻持ちならない自尊心、そして根拠のない自意識過剰で凝り固まっていた。協調性を拒み、他の学生がグループで試験勉強をしている横で、一人孤立を深めていった。それは、すべて僕自身が招いた、どうしようもなく居心地の悪い大学生活だった。
真の意味で友と呼べる同級生は一人もいなかった。その苦い経験から、僕は卒業後、母校からできるだけ遠く離れた北海道へ進路を求めた。
医師になって以降、同級生と交わることはほとんどなかった。唯一、鹿児島出身のM君が北海道出身の同級生と道内で結婚式を挙げた際に招待されたくらいだ。結婚式場で久しぶりに会う同級生たちは、皆明るく、楽しそうに笑っていた。彼らの輪の中にいても、決して居心地は悪くなかった。
しかし、昔話に花を咲かせるたびに、僕の胸には言いようのない距離感と違和感が広がっていった。彼らと共有できる思い出や時間が、僕にはなかったからだ。その場にいるのに、まるで映画を見ている観客のような感覚に陥った。以降、連絡を取り合う同級生は片手に数えるほどだ。医学生時代は、僕にとって完全に封印した「黒歴史」だった。
今年の初春、その封印を破るかのように、同級生からメールが届いた。8月末に岡山で大規模な同窓会が開催されるという案内だった。フラストレーションばかりだった学生時代から35年。もうすぐ還暦を迎えようとする僕は、少しくらいは物分かりのいい大人になったと自負している。だからこそ、「今なら彼らと正面から向き合えるかもしれない」と期待する一方、「やっぱり行かなきゃ良かった」と後悔する可能性も、なきにしもあらず。同級生と胸襟を開いて話したいという期待と、誰とも話せずに一人で佇むかもしれない落胆の狭間で、僕は激しく揺れた。
不安が募る反面、三十年以上も前の同級生たちがどんな風になっているのか、興味津々でもあり、恐る恐る参加することを連絡した。それはただの同窓会ではない。卒業以来、一度も顔を合わせることがなかった同級生たち、そこに集う人々はもちろん皆医師である。彼らがどんな人生を歩み、今、どんな顔でそこに立っているのか。それをこの目で確かめるという、ワクワクドキドキまるで冒険に出るかのような決意だった。(中編につづく)