院長のコラム

栗城史多という人(3)

もし、生前の彼を知っていたならどんなふうに感じていただろう。おそらく僕は、共感もしなければ応援もしていなかっただろう。彼のドキュメンタリー番組を見て、彼に関することをネットで少し調べた。彼を批判非難するブログやコメントは、決して誹謗中傷や罵詈雑言を浴びせるものではなかった。至極真っ当な意見が多かったように思う。それ故逆に、彼の胡散臭さが気に障った。

(3)レッテルを貼りたがるマスコミ

近頃報道(特にテレビ)の在り方がかなり偏っているように思うのは僕だけではないだろう。物事や人物に対する報道が、偏見に基づいたイメージ先行でステレオタイプに押し込め、対象を単純化・矮小化しようとするきらいがある。報道がワイドショー化している。民放はまだ許せても、国営放送であるNHKの体たらくぶりは目に余る。生前、彼は数多くのTV番組に出演し講演活動もかなりこなしていたようだ。案の定、NHKでも何度か彼の特集がなされている。今回の番組を見終えて、全聾の作曲家佐村河内守氏のことを思い出した。同じようにスペシャル番組で「魂の旋律〜音を失った作曲家〜」として取り上げられ、その後ゴーストライターの存在が明らかになったことは記憶に新しい。今回の栗城氏の一連のNHKでの取り上げられ方は、同じ構図のように思えて仕方がない。NHKはどうも、障害者、社会的弱者を盲目的にヒーローに祭り上げる傾向がある。彼を死に追いやった原因の一つがメディアと感じるのは間違いだろうか。

番組中、「夢」と書かれた墓標に花を手向ける年老いた父の後ろ姿が悲しかった。彼が掲げた「冒険の共有」、挑戦における失敗と挫折の結果が死であることを彼は望んだのだろうか。彼の夢は一体何だったのだろう、栗城さんは夢を叶えられたのだろうか。問いかけたくても、彼はもうこの世にいない。衝撃的なドキュメンタリー番組を見て、「何が彼を死に追いやったのか。自分なりに答えを見出さなければならない。」そんな衝動にかられた。そして、それは即ち、今後の自分自身に対する戒めになると思えた。

先ずは、自分自身をわきまえる、身の丈を知ることである。必要以上に自分を大きく見せないことである。次に、自分の評価は自身がするものであり、他人がするものではないということである。ましてや、SNSという匿名の不特定多数者に委ねることなどもってのほかである。最後に、メディア報道は鵜呑みにしないことである。偽善が、恥ずかしげもなくまかり通っていることが今回さらに理解できた。今回のドキュメンタリーでは、残念ながらNHK自身の責任論は棚上げされている。とはいえ、賛否両論ある彼のドキュメンタリー番組を放送することを許可した親族には敬意を表したい。彼の存在を知ることができ、自分自身のことやテレビの在り方を考える機会を得られた。若くしてこの世を去った栗城史多さんのご冥福を祈って一連のコラムを終えたい。

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