院長のコラム

佐野元春ライブ後の場外乱闘?:還暦前の人間関係考(1)

10月25日の槇原敬之35周年記念コンサートに続き、11月1日、神戸国際会館での佐野元春45周年アニバーサリーツアーに参加してきた。今回は家族4人で足を運んだ。
今回のアニバーサリーツアーは、7月から12月まで続く長丁場だ。9月に新型コロナウイルス感染症に罹患した影響もあるのか、7月の堺でのライブとは異なり、佐野さんはやや覇気がなく、声が出ていないように感じた(僕の個人的見解である)。ライブアーティストが使うイヤホン、通称「イヤモニ」が合っていないのか、終始、イヤモニを気にしながらの演奏も気がかりだった。そうは言っても、「終わりよければ全てよし」である。今回も興奮冷めやらないまま会場を後にした。

事件は、コンサート開演前に起こったのだ。会場に入場し、ホール内に入ろうとした瞬間、突然、初対面の方から「長嶋先生ですよね」と声をかけられた。怪訝そうにしていると、その方は、僕たち家族同様に田辺から神戸のイベントに参加していること、そして、名のある企業の経営者であることを告げてくれた。開演前の慌ただしい時間帯。僕も「お声をかけていただきありがとうございます」と返答するほかない。
経営者同士、田辺から遠征という共通項を持ちながら、わざわざ開演前に名乗って声をかけてくれたのだ。これは、社交辞令ではなく、一歩踏み込んだ交流への明確なサインだと僕は確信した。

後日、声をかけてくださった御仁に対し、これも御縁と「地元でオフ会をしませんか?」とFAXを送ってみた。ところが、返信のメールには、丁重な辞退文が送られてきたのだ。 自分の誠意が無駄になったような不信感や徒労感を覚えた。
あまりの落差に、思わずストレートな一言を返信メールの最後に添えた。「交わるつもりがないなら、最初から声掛けしてくれなければ良かったのに」。社交辞令という曖昧な境界線を、誠実さでもって実体だと受け止めた僕自身が傷つく結果となったのだ。改めて人間関係の難しさを痛感した。

僕は常日頃から、自身の言動には責任を持っているつもりだ。だからこそ、声をかけられ、それを真面目に受け止めた側からすれば、彼の行動は「責任が伴わない軽率な行動」としか映らなかった。 自分の発言に対して責任を持たず、その場を切り抜けるための手段として社交辞令を使うのであれば、それは対人関係における認識欠如、と還暦を前にした僕は判断した。
佐野さんは、かつてライブで「ここに嫌な奴は一人もいないぜ。そうだろ?」と問いかけていた。その言葉を真に受けた僕が悪かったのだろうか。今回のライブでの高揚感の後の、場外での不快感と忌避感。複雑な人間関係にいまだ戸惑っている。「誠実性と現実性の間の埋めがたいギャップ」、このギャップこそが人間関係の本質なのだろう
お声をかけていただいた紳士にも、何かしらの理由や背景があったのかもしれない。今回の出来事は、あくまでも僕自身の視点と見解であることを了承してほしい。
この文章を読んでくれた方は、どう感じましたか?(2につづく)

長嶋雄一クリニックお問い合わせ

診療科目(内科・消化器科・胃腸科)
診察週

月・火

木・金
奇数週
(第1・3・5週)
8:00 ~ 16:00 8:00 ~ 16:00 8:00 ~ 15:00
偶数週
(第2・4週)
8:00 ~ 12:00
休診日︓第1・3・5週水曜日、第2・4週土曜日/ 祝・日曜日