院長のコラム

ローマ、アマルフィ、そしてサイカザキ:フェラーリの新型車に思う(2)

そもそも「アマルフィ」という名は、イタリア南部、ソレント半島の断崖に刻まれた宝石のような都市を指す。世界遺産にも登録されたその地には、英雄ヘラクレスが最愛の精霊を葬り、その名を捧げたという、胸の締め付けられるような伝説が息づいている。
フェラーリ・ローマが掲げた「LA NUOVA DOLCE VITA(新しい甘い生活)」というコンセプトは、往年のローマが湛えていた優雅な日々を、この現代に蘇らせようという明確な意志の表れだった。首都ローマでの洒脱な暮らしぶりなら、僕のような日本の田舎モンであっても、おぼろげに夢想することはできる。
しかし、困ったことに、僕ら日本人は休暇というものを知らない。バカンスやリラクゼーションという概念を肌身で知らぬ身には、ポルトフィーノやアマルフィでの贅を尽くしたリゾート生活と言われても、どうにも想像の翼が湿気ってしまうのだ。

そこで僕は、今回のネーミングを我が国、日本に置き換えて考えてみることにした。 仮にフェラーリを、日本が世界に誇る「トヨタ」だと仮定しよう。首都ローマに対抗する名は、当然「トヨタ・トウキョウ」となる。では、件のリゾート地「アマルフィ」に対抗する日本の地名はどこになるのか。熱海か。それとも伊東か。「トヨタ・アタミ」「トヨタ・イトウ」……。いや、語呂が悪い以前に、あのアマルフィの断崖絶壁が持つ神話的なイメージとは程遠い。
そんな悶々とした思いを抱えていた時だ。ある情報通から、何とも衝撃的な事実を教えられた。 なんと、この和歌山県内に「日本のアマルフィ」と称される地域が存在するという。その名は、和歌山市・雑賀崎(サイカザキ)。 これは決してギャグの類ではない。本家アマルフィ市とも公に交流を持つ、由緒正しき漁港の町なのだ。
しかし、だ。「Ferrari Amalfi」と「Toyota Saikazaki」という、本来交わるはずのない二つの言葉の間に、磁石の同極同士が反発するような距離を僕は感じた。脳内で不意にリンクした瞬間、長年大切に温めてきた「非日常としてのフェラーリ像」が、僕の中で音を立てて崩れ去った。既にデザインに対して抱いていた釈然としない思いに、このあまりにも生々しいローカルな現実が加わった時、僕の心は明確な脱力感に支配されてしまったのである。

「名は体を現す」とはよく言ったものだ。フェラーリは常に、その名を通じて車の魂を定義してきた。しかし、この「アマルフィ」というネーミングは、新型クーペの無機質な造形と同様、僕の美的本能に訴えかける「野蛮な魅力」を、どこかへ置き忘れてしまったように思う。
ローマの後継機に期待した僕に届いたのは、イタリアの理想郷の進化形ではなく、リゾート地の空気を纏ったリニューアル版だった。 「アマルフィは、もういいかな」 僕は今、フェラーリ・ローマのシートに身を沈め、遥かイタリアの絶景と、紀伊水道の潮風薫る雑賀崎の漁港とを重ね合わせ、ひとり静かに苦笑いを噛み殺している。(最終編につづく)

和歌山県公式観光サイトから

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