院長のコラム

カニの余韻と家長の孤独:年末の山陰弾丸カニツアー(最終編)

2026.02.12

一泊二日の「民族大移動」を終え、ようやく我が家に辿り着いた。 玄関をくぐった瞬間、僕の心に去来したのは「無事に生還できて良かった」という安堵でも、「皆に喜んでもらえて良かった」という万感の思いでもなかった。正直に言えば、そんな殊勝な感情は微塵も存在しなかった。
あるのは、不慣れな長時間の運転と、同一姿勢を強いられたことによる肉体の悲鳴だけだ。不案内な道への緊張、さらには老眼と近眼がもたらすダブル眼精疲労。そして何より、僕の心を削ったのは「万が一の事態が招く、天文学的な賠償額」への無意識のストレスだったかもしれない。
アルファードのハンドルからようやく手を離したとき、感慨よりも先に「疼痛」が突き抜けた。なで肩に数億円の無言の責任を背負っている割に、これまで「肩こり」という言葉を知らずに生きてきた僕にとって、首筋にコンクリートを注入されたようなこの感覚は、我ながら衝撃的であり、かつ笑撃的ですらあった。
この未体験の病状に対し、町医者である僕は一つの「併用療法」を試みた。 アルコール摂取による筋弛緩と、抗不安薬服用による精神的緊張の緩和である。少々荒っぽい処置だが、この時の僕にはそれが必要だった。

日頃、妻が肩こりを訴えるたびに、「運動不足だ」「自己管理能力の欠如だ」と罵ってきた僕である。翌日に持ち越したこの苦痛を、人様に訴えることなど恥ずかしくて到底できない。 通常なら、プールで泳いで肩甲骨周りの筋肉を解し、血行促進を図るところだ。しかし、あいにくカルチャーセンターは年末年始の休館。
代案として、最近週一で取り入れているウォーキング&ジョギングに一縷の望みを託した。 だが、所詮は下半身主導の運動である。上半身を庇いながらの不自然な有酸素運動は、あろうことか下半身にまで新たな疼痛を招く結果となった。全身の不快感に包まれながら、僕は「弱り目に祟り目」ということわざの正しさを、身をもって証明することになったのである。
幸い「日にち薬」とはよく言ったもので、頸部のコンクリートは三日目にしてようやく氷のごとく溶解していった。

後日、祖父母から二日分の「運転手手当」をいただいた。年配の運転手(僕のこと)の粉骨砕身を慮(おもんぱか)ってのことか、あるいは子や孫に対する彼らなりの老婆心か。 僕らは年金受給者を狙う特殊詐欺グループではない。全額を突き返せば角が立つだろうから、実費分だけを「渋々」徴収させてもらうことにした。
もとはといえば、祖父と孫の他愛ない口約束から始まった弾丸ツアーである。 「家族のため」「親孝行のため」という大義名分の下、他界した両親に尽くせなかった悔恨を埋めるべく、僕はその場の勢いに身を任せた。 終わってみれば、久しぶりの全員集合。諦めかけていた家族の風景が、ニューフェイスまで加えて復活したことは、一家の主として喜ばしい限りだ。「慎始敬終(しんしけいしゅう)」、一見すればこの小旅行は成功裏に幕を閉じたと言える。

しかし、長嶋家当主としては、どうしても釈然としないものが残る。 娘が予約したせいで、食事処の席札は「長嶋家一同」ではなく、娘の嫁ぎ先の姓であった。
三男を除けば、三人は立派な国家資格を持つ社会人だ。それなのに、「費用はいくらかかったの?」と尋ねる者は誰一人いない。彼らはきっと、僕の財布を打ち出の小槌か何かと勘違いしているのだ。これほどの私財を投じているのに、感謝の言葉一つ聞こえてこない。 運転中、僕がこれみよがしに大きな欠伸を連発しても、「交代しようか」という労わりの声すら掛からない。
「僕は一体、何のためにこれほどの労力と金を注ぎ込んでいるのか」 ふつふつと湧き上がるこの怒りは、もはや疑問を超え、辟易とした義務感へと変わっていた。政党なら離合集散も自由だろうが、家族という組織に解散はない。 「下手の考え休むに如かず」という。いくら考えたところで、血を分けたコバンザメたちとの縁が切れるわけではないのだ。
ならば、やるべきことは一つ。 二〇二六年の我がクリニック、ならびに長嶋家の最優先目標は、この「カニ代の徹底回収」である(ただし、孫の笑顔一回につき、千円の特別減免措置は検討中)。(完)

長嶋雄一クリニックお問い合わせ

診療科目(内科・消化器科・胃腸科)
診察週

月・火

木・金
奇数週
(第1・3・5週)
8:00 ~ 16:00 8:00 ~ 16:00 8:00 ~ 15:00
偶数週
(第2・4週)
8:00 ~ 12:00
休診日︓第1・3・5週水曜日、第2・4週土曜日/ 祝・日曜日