院長のコラム

波乱万丈の人生の始まり

 

医師という肩書を背負って、もう二十六年になった。七年目くらいまでは各地を転々とするため、「卒後◯年目です。」と自己紹介することが多かった。それ以降は、「△△大学の助手です。」「☓☓病院の医長です。」、勤務先の役職が即ち僕の医師の肩書になった。開業後は開業医のたった三文字で済ませられるようになった。以降、卒後何年目ということは全く意識しなくなった。改めて振り返ると、僕の人生で医師のキャリアが最も長いものになってしまった。昔からドクターだったような、いや生まれる前から医者だったような、そんな錯覚まで覚えてしまう今日此の頃である。

僕は所謂、平三卒(平成三年度卒業)である。確か、二月に医師国家試験があり三月が卒業だったように覚えている。旭川医科大学大学院に合格し、同大学第三内科への入局が決定していた僕は、卒業旅行を楽しんでいる同級生を尻目に、倉敷から遙か彼方の旭川への引っ越し準備に勤しんだ。当時、四月勤務開始にも関わらず身分は医学部卒業生である。国試の合格発表はゴールデンウィーク明けなので、一ヶ月間は無休、しかも不合格になればハイサヨナラである。合格率は85%、自己採点である程度の結果は分かっていた。合格発表を機に、医学部卒業生から社会人に、医局見習いから医局員へ、周囲から先生と呼ばれることになった。

僕の医師としての初仕事は、思いもよらないものだった。当時の医局長からI先生とともに、記憶が定かではないが興部(おこっぺ)もしくは女満別の高校の検診を命ぜられた。同僚から羨ましがられながら、目的地を目指して旭川駅から特急列車に乗り込んだ。一時間程度経過したところで列車が突然停止した。しばらくして車内放送が「只今、人身事故が起こりました。」と告げた。I先生と顔を見合わせて「俺ら、一応医者やな。」と確認するや否や席を立った。車掌を見つけて、「すいません一応医者なんですが。」申し訳なさそうに伝えた。「お医者さんですか、良かったです。後ろに付いてきてください。」の声に駆け足で付いて行った。「ここから降りてください。」とデッキのドアから車外に出るよう促された。ドアから飛び降りて左手を見たところ、顔面蒼白で息も絶え絶えの初老の女性が、列車に添い寝するかのように横たわっていた。先ずは仰向けの状態にしたが上下肢を複雑骨折しているのが分かった。脈はどうにか触知出来る。初心者マークの医師から見ても救命困難だったが、何もしないわけにはいかない。僕が人工呼吸を、I先生が心臓マッサージと役割を決めて救命処置を行った。二十分程度行ったが、治療の甲斐なく死亡をその場で確認した。時を同じくして救急車が駆けつけ、救急隊員に経過を説明し死亡確認時刻を伝えた。一緒に来るよう求められたが携帯電話のない時代の話である。医局に電話して、どのように対応していいか相談することなど出来ない。仕事に穴を空ける訳にもいかない。仕事への道中という事情を説明して理解してもらい車内に戻った。乗客から「お疲れ様でした。」の温かい言葉を多数受けたが、救命出来なかったのは事実で気恥ずかしかった。

長くなった医師人生の最初の出来事である。振り返ると、波乱万丈のその後の人生を予見しているようである。市井の一町医者にも数奇な運命があったことをここに書き留めておく。

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