院長のコラム

「限りなく黒に近いグレイ」を断つ:雄一、組織の論理と戦う:還暦前の人間関係考(3)


前回、このコラムで、とある組織と現在進行形で係争していることを書いた。その発端は、今思えば本当に些細なことだったのだ。
個人間で起こったトラブルに対して、僕は明確なルール違反だと断じた。しかし、相手方はこれを「グレイゾーン」であり、単なる見解の相違だと説明してきた。だが、相手方自身が「グレイゾーン」と認めている時点で、それは限りなく黒に近いグレイに他ならない。この時点で、自身の認識不足と今後の是正を素直に表明すれば済んでいたはずだ。しかし、彼のプライドと面子がそれを邪魔したのだろうか、僕が正式な公的文書を求めた途端、彼の態度は豹変したのである。

当初は個人間の問題だったものが、僕が法人理事長、相手が組織の代表という立場であったため、いつしか組織対組織の問題へと発展してしまった。「公私の別を曖昧にする姿勢」や「ルールを都合よく解釈する態度」が許せない僕にとって、この問題を相手側の上部組織に裁定を求めるべく上申せざるをえない状況になった。
現在執筆中の自叙伝の「負けない喧嘩の真理」には、次のような一節がある。 『「負ける喧嘩はするべきではありません。しかし、勝てると思えるなら自信を持って挑みなさい」という意味だ。まさに真理である。成人して年を重ねた今、揉め事や争い事が起こるたび、「ワイわな、勝てん喧嘩は絶対にせえへんで。せやけど勝てると思ったらコテンパンにしたるで!」という(先輩の)言葉が僕に自制と自省を促している』。 この言葉の通り、僕は勝てる見込みがあると確信し、上申に踏み切ったのだ。

残念ながら、上部組織が示した見解は、下部組織の見解を追認するものだった。納得できないから具申したはずなのに、その返答は簡素で、全く身も蓋もないものだった。 しかし、この「組織内の和」を優先する事なかれ主義的な行動によって、僕の認識は大きく変質した。これはもはや単なる「個人の過ち」などではない。保身のために事実を歪める「組織の構造的な不正」へと、僕の中での認識は昇華したのである。
「思う様に生きたくはないか 君は思う様に生きているかい」――尾崎豊の歌詞が僕に問いかける。「自分の見解・認識は本当に間違っているのだろうか」。この問いへの答えを求めるため、僕はさらなる上級機関に上申することを決意した。

この一連の経緯の中で、組織というものが、いかに簡単に、論理ではなく感情と保身で動いてしまうかという現実を目の当たりにした。指導的立場にある人間が、一度でも「面子」を優先して論理的な手続きを無視すると、その誤った判断は組織全体に伝播し、「不正を隠蔽する文化」ができることを垣間見たのだ。初期の過ちを正直に認めなかった場合、どれほどの代償を払うことになるかも痛感した。
法人理事長として、今回の件は「明日は我が身」であることを改めて自覚し、襟を正す思いだ。とともに、佐野元春の楽曲『君と一緒でなけりゃ』の一節――「笑っている恥知らずたち 眠っている権力者たち 人間なんてみんなバカさ」――の歌詞が、今ほど身にしみることはない。

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