2025年 激動の記録(後編):公・業・私にわたる四半期の事象
2025年後半は疾風怒濤、急転直下のまさに激動の後半戦に突入となった。
第3四半期は、敬愛する佐野元春氏の45周年、趣味の車、特に深刻さを増す医療・介護不況への私見を綴った。
正直に告白すれば、2025年度の当院の収支は、目も当てられぬほど惨憺たるものであった。だが、世間で囁かれるような赤字転落には、どうにか踏みとどまっている。日本医師会の調査によれば、診療所の約四割が赤字だという。もっとも、僕は「会に属する意味なし」と吠えて退会した身ゆえ、そんなアンケートなど届くはずもない。もし届いたとしても、調査時の当院の状況は、コロナ禍の喧騒に比べれば格段に穏やかであった。
だからこそ、当院でさえ壊滅的と感じる2025年の状況は、全国の診療所にとってはいよいよ断末魔の叫びに近いのではないかと推察する。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」。「潰れる時は皆一緒」と思いを馳せれば、僕は口角を上げて、ひとり苦い笑いを噛み殺している。
そして第4四半期。家庭人として、私人として、そして公人として、己の身に纏わる出来事が次々と押し寄せた。娘の急変と緊急帝王切開、そして初孫の誕生。きっと、神様は我が家に微笑みかけてくれたのだろう。現在、母子ともにつつがなく過ごしている。それはすなわち、「父を超える息子の物語」が、いつの間にかおじいちゃんになる奇譚に変容してしまった。浦島太郎も驚くようなこの一連のエピソードは、自分自身にとって衝撃的だった。妻子のために必死に泥を啜ってきた僕の人生に、突如として「孫」という光が差し込んだのだ。これはもう、爆笑問題と言うほかはない。
私人としては、「我、遠方より来たり、また楽しからずや」、遠い友人との再会に感謝し、近しい友人との度重なる酒席に明日への糧を得る日々であった。
公人としては、現在ある事案で係争中の身である。「ねぇ尾崎、僕にとっての誠実性や真実性は間違いないかい?」。十五の夜に盗んだバイクで走り出した彼なら、今の僕をどう見るだろうか、僕の心の中の尾崎豊に問いかける。「正しくないものを間違いではないとする思考」「公私の別を曖昧にする姿勢」「ルールを都合よく解釈する態度」は、聖職者たる医師の矜持にかけて看過できない。どのような審判が下ろうとも、僕は自分の信念を曲げるつもりはない。尾崎に恥じぬよう、泥濘(でいねい)の中でも前を向く姿勢を貫くつもりだ。
2025年は、激動と静寂が入り混じった忘れがたき一年となった。2026年は年男である。十二年に一度、己の歩みを問い直す歳(年)がやってくる。泥濘を歩く足取りは重いが、振り返れば、そこにはきっと僕だけの確かな足跡が刻まれているはずだ。「艱難汝を玉にす」という言葉があるように、今よりも三歩だけ進んだ人間になりたいものだ。大きな飛躍は望まない。ただ、厄のない「非厄」の一年であることを、切に願うばかりである。
最後に現在の心境を一言、「孫の寝顔に神の恩寵(おんちょう)を知り、独りで組織に立ち向かう己の正義を自らに問う」。
矛盾だらけのこの一年を、僕は一生、忘れることはないだろう。そして、この重みと共に生きていくのだろう。






